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監視されることと見守られることの違い

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セッションをさせてもらう中で


「奥さんからの監視がストレス」

という方がいらっしゃった。

昔と違って今はSNSやGPSとかもあるからそういうストレスで悩んでる方は多いのかもしれない。



誰かが自分を監視するプレッシャーが窮屈だって感じたことはないだろうか?

特に親が子供を監視するタイプだったりする時にこれが多い。




かくいう僕も特に母親のコントロールが過剰な親だった。

心配性で過保護な親だったのだ。

だから大学で一人暮らしを始めた時にむっちゃ自由だって感じた。

こんなに自由でいいんだ!って世界が広がった。

しかし物理的に自由になっても

心のどこかで誰かが自分を監視しているんじゃないか?

っていうストレスがついて回った。



今でも例えば

こんなブログ書いて誰かに何か思われるんじゃないか?見られてるんじゃないか?って

過度に考えてしまうこともある。



もう親も自分を監視していないし、

そもそも自分のことをそんなに気にしている人なんていない。

ただの自意識過剰ってやつとも言える。



しかし子供の時に「監視されることが普通」だったりすると

無意識のうちに「自分で自分を監視する回路」ができていたりする。

しかもこれがあることで自分を守れる、

って思っていたりするので手放すことが難しかったりする。

監視があることで不自由になっているっていうデメリットがあるのに

それ以上に「監視があることがデフォルト」になっているので

それがなくなることに謎の恐怖を感じているのだ。



人はそれが良かれ悪かれ

変化に対してえも言われぬ恐怖を感じる。

目に見えない恐怖に人は無力だ。



その恐怖がどこからきたものかわかると

つまり目に見えるようになると

その恐怖に対することができるようになる。

つまり恐怖に真の意味で向き合うことができるようになる。

正面から向き合うことができるようになると

そして恐怖に左右されずに行動できるようになってくると

その恐怖はやがて消えてゆく。

どうするか自由に選択することができるようになるのだ。




この監視をポジティブな意味での安心、心配と捉えられるようになるかもしれない。

世界は全然変わって見えるようになるだろう。